検事局で会いましょう まずは、頬へ。 それから、ゆっくりと首筋へ降りていく。 のんびりと、しかし正確な動きで成歩堂は響也の首筋に唇を当てた。 ぴくりと、反射的に喉が上がる。少しだけ首をかしげるようにして、視線を目の前の男に送った。 兄と違って、響也の目尻は少しだけ下がっている。それが、瞼を僅かに上げた状態で横を向くと鮮烈な流し目に変わるのだ。ぽおと赤みを沈ませた目元に、無精髭を蓄えた男の横顔が近付いた。 触れた途端、んと唇から声が漏れる。 「我慢するんだ、声。」 クスと嗤う、酷く歪んだ成歩堂の顔。 きゅっと引き結んだ響也の唇は、簡単に解けそうには見えない。 脅迫…とまではいかないまでも、七年前の件で負い目を感じている響也に対して、命令の形をとれば直ぐに声を出させる事は可能だろうに、成歩堂はそうしない。そうすることによって、言い訳を響也が手に入れてしまうのを良しとしないのだ。 「ね、弟くん?」 「…っ、」 羞恥で視線を合わす事が出来ないのを知っていて、問いただすように覗き込む。 潤みはじめた瞳の奥に強烈な憤りを抱いて見返す響也は、成歩堂を楽しませている事を理解してはいないのだろう。支配慾は容易く折れればそこで終わりだ。反抗を忘れた相手に興味など向ける事はない。だから、こうして、眼差しを強くすればするほどにこの男を煽り、喜ばせていく。 もっと、酷く。 「じゃあ、絶対、声出しちゃ駄目だよ。」 反対に、そんな言葉を口にして成歩堂の手はシャツの中に滑り込む。 シャツのボタンも簡単に外すことができるだろうに、腕を潜り込ませる分だけ押し広げて、全てを外す事もなく、中で打つ鼓動の場所を探して右手をさ迷わせた。 成歩堂の膝上に向き合う格好で座っている響也の背は、頭ひとつ分成歩堂より高くなっている。それが、唇から漏れる吐息が増すに従って屈み込むように沈んでいた。 肩口に押し付けている頭部は、拒絶なのか快楽によるものなのか、左右に振られて綺麗に整った髪を乱してていく。 成歩堂の袖口をただ漫然と掴んでいた両の手は、向き合う男の首に回されていた。逃げを打つ腰を留めている手は、下腹部から中に差し入れられている。 「や、め…もう。」 漏れ聞こえる声に、成歩堂は嗤う。 「駄目じゃないか声を出しちゃ。」 成歩堂の言う事を聞き声を出さなければ、このままの状態が続く。それが嫌ならば、懇願の言葉を自らの意志で吐くしかない。 成歩堂のいいつけを破って。それは、新たな弱味として累積されていくに違いない。 「は、ぁ…。」 項垂れて呼吸を整えている貌が、僅かに上がる。追い込まれているにも係わらず、口付けをねだるように唇をちろりと舐めた。 「お願い、もう…。」 「うっ。」 王泥喜は前屈みになって、思考を止めた。 勝手な妄想が、縦横無尽に頭の中を飛び交い始めた時には、自慢の足はホテルの玄関に到達したところだった。 色々な意味で、王泥喜は呼吸を整えてから顔を上げる。九九を唱えて頭を冷やしたとか、ちょっと頭が悪そうな気がして大丈夫じゃあない気がする。 そうして、一番いて欲しい場所に足を向けた。1階にあるティールーム。 窓際で開放的な雰囲気があるけれど、パーテーションで区切られたテーブルは客のプライバシー保護を可能とする。わざわざ客室を取って外界と遮断することによって生じる弊害を和らげる役割があるから、このホテルは使い勝手がいいのだ。 けれどそこに二人の姿を見つける事は出来なかった。 食事を取るレストランとバーはこの時間はクローズの看板が掛かっているから、此処にいなければ客室にいるという事になる。最悪だ。 王泥喜は三階にあるフロントに向かう為にエレベーターへ向かう。遠目から、開ボタンが点灯してるのが見えて、早足になった。 「あっ!?」 すっと、エレベーターの扉に吸い込まれた服の色は、普段牙琉検事の着ているものと同じだった。こう言っては悪いが、一般人が好んで着るような色ではないから、間違えようもないだろう。 「牙琉検事!」 たった今まで、ティールームにいてこれから部屋へ向かうところなのかも知れない。現実に起こるかもしれない妄想に後押しされ、王泥喜は足を早めた。しかし、閉まった扉は開く事がなく、各階を示す表示は2階へと上昇していく。 咄嗟に目に写った非常階段の緑文字に、王泥喜の行動は決定する。重い防火扉を開けるや否や、階段を駆け上がった。 客室へ向かうなら、必ずフロントのある三階で降りるはずだ。キーを受け取り、再びエレベーターに乗るだろう。そこを掴まえれば良い。 大人なのだから、本人同士が合意していれば問題ないというのはわかっている。 でも、好意という名で収まりの付かないこの気持ちにきっちりと名前を付けて、相手の気持ちを確かめたい。…というか、自分のもの宣言をして誰にも触れさせたくないというのが本音だ。 ああもう、畜生。ホテルの中心で何かを叫ぶはめになるかも知れない。秘やかな決意は王泥喜の顔を赤く染め上げる。 「響也さん!!」 しかし何かの前に、飛び出した三階の広間で、取りあえず名前を叫んだ。 そうして、再び締まりかけた扉に手を差し入れて開かせ、エレベーターに踏み込む。でも、其処には誰もいなくて、牙琉検事の上着が置かれていた。 「え…と…?」 手に取ると間違いなく彼のものだとわかる香水の匂いもした。 そして、布だけでは無い重みを感じて、王泥喜はポケットを探る。思った通り、そこには携帯電話が残されていて、二つに折られた機器の間には、下のティールームで使われているコースターが挟んであった。 (検事局で逢いましょう。) 残された文字を目にした王泥喜の顔を、苦笑いが覆った。手でくるりとコースターを回す。白いシルエットが手の中で踊った。 …消失トリック………………当然、死体はないけれど。 content/ next |